
ドイツの名匠、ヴィム・ヴェンダース監督が役所広司を主演に描く、公園の公衆トイレ清掃員の慎ましくも幸福な日常。
“美しい日々”を描く人間ドラマ
東京・渋谷でトイレ清掃員として働く平山(役所広司)は、静かに淡々とした日々を生きていました。
同じ時間に目覚め、同じように支度をし、同じように働きます。その毎日は同じことの繰り返しに見えるかもしれませんが、同じ日は1日としてなく、男性は毎日を新しい日として生きています。その生き方は美しくすらあります。男性は木々を愛しています。木々が作る木漏れ日に目を細めます。そんな男性の日々に思いがけない出来事がおきます。それが男の過去を小さく揺らしました。
公開:2023 年 時間:124分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: ヴィム・ヴェンダース
キャスト
平山: 役所広司
タカシ: 柄本時生
ニコ: 中野有紗
アヤ: アオイヤマダ
平山の妹: 麻生祐未
居酒屋の女将: 石川さゆり
その元夫: 三浦友和
街の老人: 田中泯
あらすじ

東京スカイツリーに近い古びたアパートに住む中年のトイレ清掃員・平山は、薄暗いうちに目をさまし、毎日同じ手順で身支度をしてワゴン車に乗り込みます。
車内ではカセットテープを聞きながら、渋谷区内の公衆トイレを転々と巡り、隅々まで磨き上げていきます。一方で、若い同僚のタカシは、遅刻したうえ清掃をいいかげんにすませ、通っているガールズ・バーのアヤと深い仲になりたいが金がないとぼやいてばかりいます。
仕事が終わると、銭湯で身体を洗い、浅草の地下の大衆食堂で簡単な食事をすませ、布団の中で文庫本を読みます。眠りについた平山の夢では、その日に目にした光景が重なり合っています。
規則的な日々の中でも、平山は小さな楽しみを数多く持っています。いつも簡単な昼食をとる神社の境内では境内の木々を見上げて写真を撮ります。木の芽を掘り返して丁寧に持ち帰り、部屋に集めて育てています。公園や街の中で不思議な動きをくりかえすホームレス風の老人のことも、ずっと気になっています。
休日には部屋の掃除をし、カメラ屋でフィルムの現像を受け取り、古本屋で文庫本を物色します。時には和装のママが切り盛りする小さな居酒屋を訪れ、客のギターに合わせたママの歌に耳を傾けることもあります。
ある日、仕事場で平山とタカシが作業をしているとアヤがやってきます。タカシは作業後にアヤと出かけようとしますが、バイクが動かず、平山のワゴン車に三人で乗り込みます。アヤが車を降りるとき、タカシは平山の目を盗んでカセットテープをアヤのバッグに滑り込ませます。
タカシはアヤのいるガールズバーへ行くお金をつくるため、平山のカセットテープが売れないかと思い立ちます。平山を連れて中古店を訪れ、カセットテープを店員に見せると、思いのほか高い値がつきます。それを知ったタカシは興奮して売ろうとしますが、平山はそれを制止して自分の所持金を渡します。翌日、アヤはカセットテープを返しに平山の元に現れ、返す前にもう一度聞きたいと申し出ます。音楽を聴くうちにアヤはふいに涙ぐみ、平山の頬にキスをして立ち去ります。

ある日、主人公が仕事から帰ると、家出してきた姪のニコがアパートの前で待っています。ニコは主人公の妹の娘で、 主人公とは住む世界が違うのだから会ってはいけないと母親から言い渡されています。ニコは清掃の仕事に同行し主人公と打ち解けてゆきますが、やがて主人公の妹がニコを連れ戻しにやってきます。
次の日、タカシが電話をかけてきて、仕事をやめると告げます。代わりが見つからず、仕方なく主人公はタカシの持ち場も遅くまで巡回することになります。作業が終わると、主人公は事務所への電話で声を荒げてしまいます。
休日、主人公がママの居酒屋を早めに訪れると、店内でママと見知らぬ男が抱きあっているのを見てしまいます。慌ててその場を離れ、橋の下で缶ハイボールを飲み、慣れないタバコを吸っていると、その男(三浦友和)が現れ、ママと離婚した元夫だと名乗ります。自分のガンが転移したと知り、ママに会っておきたかったのだと言います。主人公との会話の中で男はふと、影は重なると濃くなるのか、何も変わらないのかとつぶやきます。二人の影を重ねてみて、男は何も変わらないんじゃないかと言いますが、主人公は「なんにも変わらないなんてそんな馬鹿な話、ないですよ」と返します。二人はしばらく影踏みをして遊びます。
翌日、いつもどおり仕事に向かう車の中で、主人公の表情には涙と笑いの交錯する感情が溢れかえっています。
感想~主人公が幸せな理由~
私が10代~20代の頃にこの映画を観たなら、この主人公の幸せが理解できなかったと思います。
10代~20代はドーパミン的幸せを追い求めがちです。
長く続くセロトニン的幸福やオキシトシン的幸福の大切さがよく理解できていませんでした。
ドーパミン的幸福は、「成功」「達成」「富」「地位」「名誉」などの幸福です。
ドーパミンは脳を興奮させるので、ドーパミン的幸福には「高揚感」が伴います。
セロトニン的幸福やオキシトシン的幸福などの「静かな幸福」とは異なり、高揚感と興奮が伴う激しく、大きな幸福だからこそ、多くの人はそこを目指したくなります。
ですが、ドーパミン的幸福を人生の目的においてしまうと、必ず不幸になります。
「成功」をセロトニン的幸福(健康)より重視するとメンタル疾患や身体疾患に陥ります。
ドーパミン的幸福をオキシトシン的幸福(つながり)より重視すると家族や恋人から愛想をつかれて大切な人が離れていきます。
せっかく「成功」「富」を手に入れても、病に伏し、人とのつながりが全くないなら、決して幸福とは言えません。
幸福な人生を送るには、優先順位があります。
まず、セロトニン的幸福(健康)が一番大切です。健康があってこそ、家族や友人、恋人との絆を大切にはぐくむことができます。仕事に励んで成果を出すことができます。
第二に、オキシトシン的幸福(つながり)です。
最後がドーパミン的幸福(成功)です。
この映画の主人公は、セロトニン的幸福を重視する生活パターンが確立できています。
その基礎を築いたうえで、オキシトシン的幸福(つながり)を楽しんでいます。
ドーパミン的幸福はトイレ掃除で給料を得た時や、古本を購入したとき、境内で新芽を見つけたときなど、非常に健全なものにとどめています。
最新の心理学や脳科学的に実証された幸福の定義にぴったり当てはまる生き方ができています。
ほとんどの人は幸せを「結果」として捉えています。
「頑張って努力を続けていけば、いつか必ず幸福になれる」と考えるのです。
ですが、幸福は「結果」ではなく「プロセス(過程)」にあります。
何か大きな目標を達成したとき、大金を手に入れたとき、その瞬間にはドーパミンが大量に分泌します。そのため「大きな幸福」は得られますが、それは永続的なものではありません。すぐに色あせてしまいます。
「幸せ」は今、この瞬間の「状態」であり、「プロセス(過程)」なのです。「ゴール」でも「結果」でもないのです。ですから、「今」幸せであることが重要です。
幸福は「今、ここ」にあります。
「今、健康である」というセロトニン的幸福。「あなたを支えてくれている人がいる」というオキシトシン的幸福。それらの幸福はあなたが気づいていないだけで、すでにそこにあるのです。
主人公は、日々、一瞬一瞬、自分に今ある「幸せ」を感じ取り「感謝」する心を持っています。
今ある幸せを感じ取れるように、自分にとって「不必要」な物や「人」を徹底的に排除して、自分の心に向き合い、自分が「好き」なものだけで生活を満たしています。
主人公は「成功」や「富」が決して真の幸福をもたらさないことを熟知しているのでしょう。
憧れさえ感じておらず、むしろ質素ながらも自分の「好き」や「心地よさ」を追求して得た「今」の生活に満足しています。
このような「悟り」「ライフスタイル」を得るには、色んな苦しみ、悩み、葛藤があったと思います。
私は、この究極の「幸せ」にたどり着いた主人公がうらやましくてなりません。
この主人公の生活が「枯れている」と表現する人もいます。
本当にそうでしょうか?
もちろん、主人公に美人で気立てのいい妻がいて、暖かい家庭を築いており、豪邸に住み、悠々自適な暮らしをしているなら、誰もがうらやむ潤いのある生活、幸せのお手本だと思うかもしれません。
ですが、こうした幸せは不変ではありません。
もし、最愛の妻が病に侵されたり、交通事故で突然亡くなったとしたら?
妻だけが心の支えだったなら、その人は精神的に耐えきれないほどのダメージを受け、精神疾患になり、二度と幸福を感じられないかもしれません。
自分の幸福の基盤を誰か「他の人」や「物」に置いている人の「幸せ」は非常にもろいものです。
自分以外の「人」や「物」は変化し失う可能性があります。それは、自分の力でコントロールできるものではありません。
ですが、主人公のように、自分ひとりでも「幸せ」に生きられる人は非常に安定した幸福を手に入れています。
他人を変えることはできませんが、自分を変えることは可能だからです。
自分で自分の幸せをコントロールできる。どんな状況でも「今ある幸せ」をキャッチでき、自分で自分の「好き」を追い求めて自分のご機嫌を取れる、そんな生き方ができてこそ、永続する真の幸福を手に入れられると思います。
以下に、映画を観て私が感じた主人公が幸せな理由を挙げてみます。
主人公が確立している幸福の秘訣

変わり映えしない日常のなかに変化と幸せを見出す
私がこの映画で一番印象的だったのが、主人公が扉を開けると決まって空を見上げて微笑むその幸せそうで満足感あふれた表情です。
変わり映えしない日常を生きながらも、彼はいつも満足そうに空を見上げます。
彼は空や植物の変化を愛で、人との関わりから刺激をもらいます。
そんな風に小さな変化と幸せを受け取りながら生きている主人公の姿はとても美しいと感じさせられます。
ですが、主人公が自分の幸せを知るまでそしてその日常を掴むまで、彼には長い葛藤の日々があったのではないかと思わずにはいられません。
それはラストシーンでわずかに瞳を潤ませる平山の表情からも感じ取れます。自分が過ごす日常や感じ取る幸せがいかに繊細であるかを教えてくれる作品です。
主人公の平凡な日々の生活には、小さな喜びがたくさんありました。
ただ淡々とすぎる主人公の日常を見ていると、私たちが気づいていないだけで日常には小さな変化と幸せが隠れているのかもしれないと思いました。
毎朝アパートを出る時に空を見上げ笑みを浮かべます。その笑みは今日も元気で新しい一日を送れることへの「感謝」を感じます。また太陽の恵みや新鮮な空気に対する「喜び」や「感謝」をも感じます。そんな日常の小さな幸せを感じ取ることのできる人は完ぺきな一日を送る準備が整っていると思います。
主人公は、平凡な毎日の中で、小さな喜びに満ちています。
車の中で聴く音楽(カセットテープに入っている)もそうですが、古本屋さんで購入する文庫を読む楽しみ、フィルムカメラで撮る木々なども。
また、神社の境内で見つけた木の芽を取ってきて育てています。
霧吹きで水をあげるのも朝の日課です。
いくつもの日常の小さな喜びを見つけながら、それに満たされながら生きているのです。

そのどれもがお金も時間もかからない、誰にでもできる体験です。
ですが、多くの人はすでに体験できている日々の小さな幸せに気づくことができません。すでに自分にある幸せを見ることができず、自分にない他人が持っている幸せにばかり注目して、自分は不幸だと感じてしまう人が多いと思います。
タイトルの「PERFECT DAYS」は、「完璧な日々」を意味するそうですが、完璧な日々は、他人が決めるものではなく、自分で決めるものです。
自分軸で生き、自分にとっての幸せを知り、小さな幸せに感謝できる
彼はいま、打ち込むべき仕事と、ささやかな幸福に満たされて、穏やかな日々を過ごしています。
主人公のようにあれば、人生は満更でもないと思います。
日々のルーテイーンの中に小さな喜びを見出す
日々の生活の中で、私たちはしばしば大きな変化や特別な出来事に幸せを求めがちです。ですが、実は毎日のルーティンそのものが私たちに幸せをもたらしていることに気付くことが重要だと感じます。
日々のルーティンの力
毎日のルーティンには、私たちの生活に安定感と予測可能性をもたらす力があります。朝の一杯のコーヒー、植物に水をやる、音楽を聴くばど小さな習慣が私たちの心を落ち着かせ、日々のストレスを軽減してくれます。これらのルーティンは、私たちが自分自身と向き合う時間を提供し、内面的な充実感を育むのに役立つと言われています。
ルーティンの中に幸せを見つける
ルーティンの中に幸せを見つけるためには、まず自分が何に喜びを感じるのかを知ることが大切です。例えば、朝の散歩が好きなら、それを毎日のルーティンに組み込むことで、自然と幸せを感じる時間が増えます。また、日々のルーティンに感謝の気持ちを持つことも重要です。小さなことに感謝することで、日常の中にある幸せをより強く感じることができます。
ルーティンをアレンジしてさらに充実した毎日を
毎日のルーティンを少しアレンジすることで、さらに充実した毎日を送ることができます。例えば、朝のコーヒータイムに新しい音楽を聴いてみたり、散歩のルートを変えてみたりすることで、新鮮な気持ちを保つことができます。また、定期的に新しい習慣を取り入れることで、ルーティンに変化を加え、飽きることなく続けることができます。
ルーティンの中での自己成長
ルーティンの中で自己成長を感じることも、幸せを感じるための重要な要素です。例えば、毎日の読書時間を設けることで、新しい知識を得ることができ、自己成長を実感することができます。また、定期的に運動をすることで、体力の向上や健康維持にもつながり、自己肯定感を高めることができます。
毎日のルーティンは、私たちの生活に安定感と幸福感をもたらす重要な要素です。自分にとって何が幸せなのかを見つけ、それを日々のルーティンに取り入れることで、より充実した毎日を送ることができます。小さなことに感謝し、ルーティンをアレンジして新鮮さを保つことで、日々の生活がより豊かになります。
主人公は毎日同じ時間に目覚め、植物に水をふきかけたのち、自動販売機でいつもの缶コーヒーを買って出勤します。
BGMはカセットテープに収録された古い音楽です。丁寧に公共トイレの清掃を行い、昼飯は神社のベンチで木漏れ日を眺めながら食べます。
いつもファインダーを覗かずに、古いフィルムカメラでその日の木漏れ日を撮影します。
仕事が終わったら銭湯で疲れを癒し、夕飯はいつも同じ居酒屋へいきます。
すっかり常連になっているので、大将から「おかえり!」と声をかけられ、席に着くと注文せずともいつもの酒と料理が運ばれてきます。
帰宅後は古い小説を読みながら就寝。これが彼の仕事の日の1日です。
休日も同じようにルーティンがあります。

一見変わり映えしない日常ですが、彼はどこか満足そうです。それは彼の日々が小さな変化に彩られているからだと思います。
主人公は、日々、規則正しく、ルーティンをこなします。
アパートで一人暮らしをして、清掃員の仕事を淡々と完ぺきにやります。
彼のふとした時に向ける視線の先に「光」があります。
木々の枝や葉から溢れる“光”など。
その光は、“木漏れ日”といいます。
それを見る時の主人公は、笑みを浮かべ、幸せそうです。
その表情を見ると、主人公は孤独なんかではないと思えます。
むしろ心の平安と喜びに満たされ、人生を楽しんでいるように見えます。
五感を研ぎ澄ませ人生を楽しむ
音
映画は、乾いた葉がこすれ合う音から始まります。
続いて、竹ぼうきで掃除している音がします。
その音で目がさめて主人公は起きます。
竹ぼうきではいている音は、風情があり、趣があり、素敵な音です。
小鳥の鳴き声や風の音、雨の日の雨音、公園の子供の声、それとトイレ掃除の音。そこには静かな、穏やかな空気が流れているのを感じました。
車の中で流れるレトロな音楽が主人公の幸せを物語っており、作品の雰囲気作りにかかせないものとなっています。
視覚
家を出るとき必ず空を見上げて朝日を浴びます。その時、何とも言えない印象的な笑みを浮かべます。
出勤中の車の中から、帰宅時の車の中からスカイツリーを毎日必ず眺めます。
お昼休みには、お気に入りの木を眺め、写真を撮ります。
主人公は木漏れ日をこよなく愛し、同じ木でも日々刻々と表情を変える木漏れ日を眺め、美しい絵を切り取るかのようにカメラのシャッターを切ります。
境内で木の根元を観察し、新芽が出ていれば、それを掘り起こして持ち帰ります。
毎日とりだめた写真を休日に焼き増しして出来栄えを眺めます。そしてお気に入りの写真だけを箱に入れてコレクションします。
仕事中、いつも浮浪者の不思議な踊りを眺めます。その表情にはどんなことにも面白さを敏感に感じるとる、何にでも興味を持つ心を感じさせます。
人との繋がり
主人公は一人暮らしで、無口です。友人も家族もいませんが、日々の生活は満たされています。
なぜなら、人と関わって生きているからです。
見知らぬ人との繋がり
主人公は公共トイレの隅に二つ折りになっている紙を見つけ、「⚪︎×」が縦横斜めに3つ揃ったら勝ち、というゲームをどこの誰かもわからない人と交互に繰り返しながら喜びを感じたりもします。
ただのゴミと思って捨てても良いただの紙切れを見て、誰かの思い、誘いを受け取る感性があります。
毎日、同じ便器の隙間に自分が印をつけたメモを挟む。その時の主人公の表情は子供が友達と遊んでいるかのような満たされた表情です。
会話がなくても、誰かと繋がりを持とうとする生き方はとても素敵だと思いました。
居酒屋での繋がり
また、同じ居酒屋で食事をしているのも興味深いと思いました。
何十年も通っているのでしょうか?
居酒屋の店主とも常連さんとも顔見知りで、そこに居合わせた人とのさりげなく飾らない自然な交流がありました。主人公は無口ですが、笑みを浮かべて、みんなのおしゃべりの輪に入っていました。和やかで心地よい居場所を見出しているように感じました。
同僚との繋がり
同僚の若者タカシは不真面目で仕事を真面目にやらない後輩ですが、彼女が来ていたら「やるじゃないか」と声をかけてあげます。そのうえ、車を貸したり、お金を貸したりと色々面倒を見てあげます。出来の悪い後輩でも愛情をもって接し、暖かい人情味ある人物だと感じました。
誠実、優しい、思いやりがある、そんな主人公だからこそ、無口でも人が集まってきます。
姪との繋がり

妹の娘が家出をして主人公の家にやってきました。姪っ子は裕福な家庭でも、そうした物質的な豊かさでは幸せを得られないことを実感しています。
おじさんは言葉数も少なく、質素で何の刺激もない生活を送っていますが、姪っ子からするとおじさんと一緒に過ごすことが心地よいのです。
トイレ掃除の仕事にもついてきます。そして一緒に掃除まで始めました。
ボロアパートに住んで、トイレ掃除をやっているおじさんと暮らす方が幸せだと感じているようです。母親が運転手付きの高級車で迎えに来た時、拒絶反応をしておじさんに自分を置いてほしいと哀願します。
姪っ子から慕われていることからも、主人公の人柄がしのばれます。
スナックのママとの繋がり

仕事が休みの日には、いつもの居酒屋ではなく、小料理屋に行きます。小料理屋のママに惹かれている主人公。ママも主人公に好意を寄せているようです。小料理屋でのひと時も主人公の人生を彩る素晴らしい人生の一コマです。
この映画を見ると、ひとり暮らしでも孤独ではないと感じます。人間社会で生きている限り、私たちは誰かと繋がっており、誰かを支え、支えられて生きています。
存在価値を見出している
日々の繰り返しの中で、自分の存在価値や日常の風景をとても繊細に丁寧に演じている役所広司さんの演技は素晴らしかったです。
これでいいんだ。これがいいんだ。という自分の人生への肯定があり、とても味わい深いものでした。
迷ったり立ち止まったりしたとしても毎日の小さな出来事への真摯な態度がジンと来ます。
泣きたいほどの感動ではなく、日常を精一杯生きることで充実した日々を送れるんだなと感じました。
「あ、この人幸せなんだろうな」と思わされる映画でした。
色々な背景もあるし(妹との確執)、仕事も決してラクとは言えないまでも、充実した日々を過ごしていることは明らかです。
ヴェンダース監督の考える「存在意義」が表現されていることを感じました。
他人と比較することすら必要なく、自分の大切にしたいものをしっかりと抱きしめていれば大概のことは幸せに過ごせると言われているような気持になります。
【トイレ掃除】

主人公は渋谷区内の公園の公衆トイレを嫌な顔ひとつせず、むしろ生き生きとして清掃します。
同僚で後輩の若者はどうせすぐ汚れるからと言って真面目に掃除しません。
ですが主人公は黙々と完ぺきにきれいな状態に清掃します。
その姿は、仕事へのプライドや責任感を感じさせます。
またトイレを使う人への思いやりをも感じさせます。
国土交通省の文章に以下のものがありました。
公共的トイレは安心社会のバロメーター
公共的トイレは社会の吹き溜まりになりやすい場所。
安全で清潔に維持された公共的トイレの提供は安心社会の基本。
公共的トイレは弱者の味方
トイレは元気な時は気にならないもの。
心身ともの体調が万全でない時、弱い時、助けてくれる。
公共トイレを清潔に保つことの重要性を強調しています。
トイレの清掃の仕事は(汚い、低収入)というイメージがありますが、社会の安全、安心にはなくてはならない職業です。
主人公は自分の仕事に誇りを持ち、プロフェッショナルなレベルの仕事を毎日こなしています。
すばらしい社会貢献ですし、存在価値を見出す理由ともなっていると思います。
また、多くの有名人達がトイレ掃除の大切さを語っておられることにも注目できます。
パナソニックの創業者である松下幸之助さんが「トイレ掃除ひとつもできない人はなにもできない人だ」という言葉を残しています。
イエローハットの創業者はトイレ掃除を素手で53年間も続けているそうです。
また本田宗一郎さん、ビートたけしさんや和田アキ子さん、星野仙一さん、タモリさんもトイレ掃除を大切にしています。
”トイレ掃除をすると幸運を招く”とか”幸せを呼び込みたいのならトイレ掃除をするといい”などという話はよく耳にします。
【トイレ掃除した方が良い理論的な理由】
心理カウンセラーは、「トイレ掃除とは自分の汚いところに、正面から、逃げずに向かい合う行為。」と言っています。
自分と向き合い、自分が「イヤだ・ダメだ」と思うところを隠したりせず見つめる。
そうすると、流れがよくなるから、運気が上がるのだと書いていました。
私は、トイレ掃除をすることによって自分に得られるものは人への思いやりの心を持つことだと考えます
トイレは、人なら誰でも必ず使う場所です。そして、場所によっては様々な人が使う共有の部分です。
使う人が安心して使えるよう、気持ちよく使えるよう、配慮や気遣いがあるからこそ、徹底的に磨き上げ、きれいな状態に保っているのだと思います。
主人公の優しさや思いやりの気持ちは映画の様々なシーンで観ることができました。
部屋をきれいに保つ
家が綺麗に整理整頓されていると思考がはっきりするようです。部屋が散らかっていると、散らばっているモノの情報が目から入り、知らず知らずのうちに脳へ負荷をかけてしまいます。
限られた時間の中で知らずのうちに脳を疲れさせてしまうのはよくないですね。
ホテルへ行った際に落ち着いたり、仕事が捗ったりしたことはないでしょうか?普段と違う環境や内装などの影響もありますが、整理されたモノが少なくない環境で頭がすっきりする効果があるようです。
主人公の部屋はスッキリとしており、いつも整理整頓されていました。
心地よさを大切に生きていると感じました。
主人公の家は外観はボロいアパートです。でも、部屋の中は綺麗に整頓され、本、盆栽など好きなもので彩られた、彼にとっては素晴らしい城です。
清掃員の制服を着た主人公が、道ゆく人からは、まるで見えないものであるかのように扱われるシーンがります。清掃中の看板を蹴飛ばすサラリーマン、子どもを保護してもらったのにお礼を言わない母親。
いやな顔をしてしまいそうな状況でありますが、彼は動じない(ように見えます)。なぜなら、内面が整頓されているからです。
毎日を丁寧に生きる
主人公の生活に雑さや慌ただしさ、憤り、焦り、怒りなどの負の感情がほとんど見られません。
日々の生活は、ゆったりと規則正しく、ゆとりをもって、丁寧に行われています。
朝起きると、布団を丁寧にたたみ、部屋はいつもきれいな状態です。
ひげをハサミで丁寧に切りそろえて、おしゃれにも気を使っています。
神社の境内で見つけた木の芽を取ってきて育てています。霧吹きで水をあげるのも朝の日課です。
家を出るとき必ず空を見上げ、太陽の恵みを感じ、新鮮な空気を吸い、心地よさを感じて微笑みます。
出勤時の車の中で大好きな音楽をかけて体を揺らしながら聞き、気分を高めています。
仕事は丁寧に完ぺきにこなします。心を込めて利用者が気持ちよくトイレを使えるよう掃除している姿に真の思いやりを感じます。
仕事が忙しくて、困っている人を無視するということはありません。
迷子になっている子供を気遣うシーンが印象的でした。
母親は、清掃員に手を引かれているわが子を見て、感謝するどころか、すぐに子供の手を除菌シートで拭きます。助けてくれた清掃員にお礼の言葉もなく、むしろ軽蔑的な態度をとります。
でも子供は後ろを振り返って主人公に手を振ります。
主人公は、母親の態度に怒るわけでもなく、子供が母親に会えたことを喜び、子供の感謝の気持ちが嬉しくて微笑みます。
ただ自分が正しいと思うこと行い、その行為に満足しています。
誰の態度にも心の平安や喜びを奪われることがありません。
とても安定した精神状態です。
お昼休みに近所の公園に行き、ベンチに座ってフイルムカメラを上に向けて「木漏れ日」を撮影します。毎日同じ「木漏れ日」の写真を撮っても飽きることはありません。主人公にとっては木の表情や見え方は毎日違っているのだと思います。
心に余裕があるので、自然と対話できるのでしょう。小さな変化にもすぐに気づきます。同じ木や景色にも日々変化があります。そうした変化を楽しんでいるようです。
ゆったりとした時間の中で、心に余裕があるので、公園のベンチで昼食をとっている周りの人たちともアイコンタクトをとって挨拶します。
仕事終わりには銭湯で丁寧に体を洗い、ゆったり湯舟に浸かります。心も体もリラックスできます。
夕食はいつもの居酒屋に行き、大将から「おかえり!」と声をかけてもらいます。すっかり常連になっているので、注文せずともいつもの酒と料理が運ばれてきます。
帰宅後は古い小説を読みながら就寝します。
休日には濡らした新聞紙を畳の部屋にまき散らし、埃を吸わせて掃き掃除をします。
行きつけの小料理屋へも行きます。美人ママと和やかな交流を楽しみ、ママへの思いを寄せながら、ママの演歌に目をつむって聞き惚れます。
淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえますが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちています。
何気ない日常にいくつもの喜びを見つけながら、それに満たされながら生きているのです。
他人と比較しない
この映画を観ると、他人と比較することすら必要なく、自分の大切にしたいものをしっかりと抱きしめていれば大概のことは幸せに過ごせると言われているような気持になります。
今どきの最新のものを持っていることが幸せとは限らない。主人公はカセットテープ、フィルムカメラ、現像して焼き増しする。そんな昔と変わらない自分の楽しみを見出しています。
仕事も他人からどう見られるか全く意に介していません。妹から偏見に満ちた言葉を投げかけられても、プライドを持って真剣に仕事に向き合っています。
ひたむきに一日を精一杯生きること、自分の心地よさを優先して、人の価値観や生き方に囚われない生き方が素晴らしい日々を送る秘訣だと教えてくれます。
変化や人からの評価

自分にとって心地良くいられる生活を選び、実践している主人公は、作中のどの登場人物とも対比関係にあるように思えます。
同僚は、どうせ汚れるのだからと適当に仕事をして、お金がないから恋ができないんだと嘆きます。
彼はトイレ掃除という変わり映えしない仕事に辟易とし、周りからの評価軸であるお金に執着しています。
同僚は主人公と対照的に自分が何によって幸せを感じられるのか理解していないように見えます。

主人公のもとに突然現れた姪と、主人公の妹もそうです。
姪は母親との折り合いが悪く、主人公のもとへ逃げてきました。母親との関係に苦しむ姪は、現実から逃れたいと日常に変化を望みます。
そして姪を迎えにきた妹が発する「本当にトイレ掃除しているの?」というセリフ。このセリフは決定的に主人公と妹の間に一線を引いてしまう言葉です。
主人公は公共トイレの清掃員の仕事に責任感とプライドを持って取り組んでいます。その仕事が周りからどう見られていようが、彼には関係ありません。
主人公の仕事ぶりと妹のセリフが対比されることで、主人公と妹が全く違う世界を生きていることがわかります。
人と関わりながら生きている以上、人との関係性の変化や人からの評価を望んでしまうのは当然です。
ただ、そこに重心を置くと息が苦しくなってくるのも事実です。周りに影響されずに自分を貫く主人公は本当の幸せを体現できていると思います。現代人にとって憧れともいえる生き方ではないでしょうか?
今を生きる
主人公はただただ今を見つめ続けています。印象的に繰り返される「今は今、今度は今度」という言葉は、主人公がいかに今この瞬間を生きているのかを表す言葉です。
東京スカイツリーという巨木に見守られながら、その木漏れ日のなか、主人公は今この瞬間を100%生きています。
私の周りで素敵だなと思う方は、いつも「今」を大切に生きています。
心配ごとや不安なことがあるとつい、そのことばかりを考えてしまい今目の前にあることに集中できていないということも多いはずです。
過去の失敗を悔やんでも、過去は変えられません。
まだ起きていない将来の心配をしても、取り越し苦労になります。
過去や未来に囚われている人は、今享受している幸せに気づくことができません。
せっかく今体験できている素晴らしい出来事や環境に目を向けず、不安を感じたり、不平不満を言っている人生は、本当にもったいないと思います。時間と人生の無駄遣いです。
主人公は今にフォーカスしたライフスタイルを確立しており、日々の小さな幸せをかみしめて、心に余裕をもって微笑みを浮かべて生きています。
こんな主人公でも、妹に会った後は涙を流します。過去の苦しい出来事を思い出し、後悔や悲しみを感じたのでしょう。
でも、そのような感情は非日常のもので、主人公は過去を思い出すような環境に自らを置かないよう自分自身を守っています。
ですから、妹が訪ねてこない限り、負の感情が主人公を襲うことはありません。
主人公は、富や栄光が本当の幸せをもたらさないことを熟知しているのでしょう。
また他人軸ではなく、自分軸で生きることの大切さ、幸せの基準は自分で決めることの大切さをよく理解しているのでしょう。
決して裕福ではなく、他の人から「立派」といわれる仕事に就いているわけではありませんが、日々の営みを自分の好きや心地よさで満たしています。
そして、今自分にあるものに満足しています。
そんな今を生き、足るを知る生き方が完ぺきな日々を作り上げているんだと思います。
自分で勝ち取った幸せな日常
表層的に捉えれば彼は不幸せな人。お金がなく、古アパートに住んで、家族もいなくて、公衆トイレの清掃員をしている初老の男性です。
ある日、公衆トイレで泣いている子供を見つけ手を引いて外に出してあげると、それを見つけた母親が駆け寄ってきて、子供の手を消毒し、お礼もなしに立ち去っていく。その母親にとって平山は「汚い存在」でしかない。
にもかかわらず、平山は不幸ではありません。
彼はおそらく裕福な家の生まれです。父親が経営する会社の後継者だったかもしれません。ですが、父親となんらかの確執があり、苦しみ、決裂し、妹にあとを任せて家をでたのかもしれません。
父親と決裂し、長い間妹にも姪にも会わず、独り身で、ほとんど声を発しない生活をしています。過去の悲しみを身に纏っていることも伝わってきます。彼はこう言いました。
「この世界は、ほんとはたくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある」
ですが、今の主人公の朝起きてから夜眠るまでのルーティンには、彼の「いつもの幸せ」がぎっしり詰まってます。主人公自らがどんなときに「幸せを感じるのか」を探して、追い求めて、確立した「自由へのルーティン」のように感じます。
それまでの不自由な自分から、自由な自分になるために、何を捨てるか決めたのでしょう。その結果たどり着いたのが、たくさんの「いつもの◯◯」がある幸せな暮らしです。彼はそれを努力して勝ち取ったように思います。
「同じ」だからこそわかる「ちがい」
主人公は、起きてから寝るまで同じルーティンを繰り返します。だからこそ「変化」に気づいているように見えました。
毎朝水をやる苗木は少しずつ成長していくし、公園で見上げる木漏れ日は表情が変わるし、飲み屋で座る椅子の場所は混雑具合で変わるし、銭湯だって日によって温度がちがうはずです。
朝、家を出るときに空を見上げると晴れの日もあれば、雨の日もあります。たとえ雨であっても、彼はニコッと笑みを浮かべる。毎日見上げるスカイツリーは、日によってライトの色を変えています。
ある日、路地を自転車で走っていると、1人の老人が「空き地」を見ている。その老人は「ここになんの建物が立ってたのか、思い出せないなあ」と呟きます。毎日歩いているはずの通りからいきなりビルがなくなっても、人はどんな建物だったか思い出せないものです。
主人公は同じ「繰り返し」を「丁寧」にするからこそ、そこにある変化に気づき、楽しむことができるように思います。
ミニマニズム
主人公の生活スタイルはミニマニズムそのものです。正に私の理想とする生活スタイルです。
ミニマリズムとは、物や情報、そして行動を「必要最低限」にまで削ぎ落とし、シンプルな生活を追求するライフスタイルのことです。
これは単なる物質的な減少ではなく、精神的な充実をもたらすことを目指しています。
ミニマリズムは、生活の中で本当に重要なものを見極め、それ以外の余計なものを排除することで、心の安定や時間の余裕を手に入れるための手段ともいえます。
「必要最低限」という概念は、各個人にとって異なるものです。
例えば、ある人にとっては最小限の洋服や家具が快適な生活をもたらすかもしれませんが、別の人にとっては趣味の道具や特定のインテリアが生活の充実感をもたらすかもしれません。
重要なのは、自分自身にとって本当に必要なものは何かを理解し、それに基づいて生活をデザインすることです。
【ミニマリズムのメリット】
物理的・精神的な自由の獲得
ミニマリズムの最大のメリットは、物理的・精神的な自由を得られることです。持ち物を減らすことで、家の中がスッキリと片付き、清掃や整理の手間が大幅に減ります。これにより、生活の中で無駄な時間や労力が削減され、自分の時間を他の有意義な活動に充てることができるようになります。
さらに、物が少なくなることで、物への執着や心配事が減り、心の余裕が生まれます。精神的な負担が軽減されることで、よりリラックスした状態で日々を過ごせるようになります。例えば、家に帰ってきたときに物が散乱していると、それだけでストレスを感じるものです。しかし、ミニマリズムを実践することで、家が常に整っている状態を保ちやすくなり、リラックスした時間を過ごせます。
生活の質の向上と時間の節約
ミニマリズムを取り入れると、生活の質が向上します。必要な物だけに囲まれた生活は、効率的であり、物事に対する集中力が増します。また、持ち物が少ないと、何を選ぶかに悩む時間が減り、朝の支度や食事の準備などがスムーズに進みます。これにより、日常生活の中で無駄な時間が省かれ、仕事や趣味に使える時間が増えます。
例えば、洋服の数を減らし、毎日同じスタイルで過ごすことを決めることで、朝の支度にかかる時間を大幅に短縮できます。また、キッチン用品を最小限に絞ることで、料理をする際の動線がスムーズになり、作業効率が上がります。こうした時間の節約は、忙しい現代人にとって大きなメリットとなります。
心のゆとりとストレスの軽減
持ち物を減らし、シンプルな生活を送ることで、物理的なスペースだけでなく、心の中にもゆとりが生まれます。これにより、日常のストレスが軽減され、精神的な健康が向上します。また、余計なものに囲まれないことで、生活の中で本当に大切なものに集中することができるようになります。
このように、ミニマリズムを実践することで、物理的な余裕と精神的な余裕が生まれ、生活全般がシンプルで快適になります。これが、ミニマリズムが現代社会で多くの人々に支持されている理由の一つです。
主人公は「必要なものと不要なもの」を明確に分ける美意識を持っています。
不要なものを削ぎ落とすことで、彼らしい「暮らし」が浮かび上がります。
主人公はいつもリラックスしているように見えました。これはミニマニズムな生活を通して、精神的安定を手に入れ、ストレスフリーな生活を築いているからなのではないかと思いました。
主人公のライフスタイルは人モノ情報に翻弄される現代を生きる人々の「憧れ」として描かれています。
実際、本作のキャッチコピーは「こんなふうに生きていけたなら」です。鑑賞後「主人公のような暮らしができたらなあ」と思った方は、少なくないのではないのではないでしょうか。
他人との適度な距離感

同僚・タカシの意中の女性が主人公の車に乗り込みカセットに興味を持ちます。
同僚にはお金を貸したり、同僚の意中の女性に頬にキスをされたり、色んな体験をしますが、それっきりになっています。深入りしない人間関係が平山の好むものなのでしょう。
昭和レトロ感が濃厚な浅草の地下街にある居酒屋の店主との関係は気さくでアットホームな雰囲気が漂いますが、だからと言ってそれ以上の付き合いはありません。
主人公はただ微笑むだけで何も言葉は発しません。ただの常連さんという関係にとどめています。

不思議な踊りを見せるホームレスの老人を毎日仕事の合間に眺めて微笑んでいますが、近づいて会話することもありません。
いつも現像をだす写真屋の主人やその他銭湯の常連客たちなど、主人公とは居心地のいい距離感を保っています。
公園トイレに置かれた紙で文通のような〇X陣地取り、いつも公園のランチで出会うOL、急遽応援でシフト入りした同僚など、交流が深まることはありません。
主人公は人間関係においても断捨離ができているように感じました。
どんなに気の合う人であっても、家族や恋人であっても、距離が近すぎるとストレスとなります。
気を使ったり、相手に合わせたり、反対に相手から無理な要求されたり、束縛されたり。
近すぎる人間関係は生きづらさの原因にもなりかねません。
心の弱い人間は誰かに依存したり、相手に依存させて自分の存在価値を確認しなければ生きていけません。
その点、主人公は、誰とも一定の気持ちの良い距離感を保ち、自然体で生きています。
そして他人とのかかわり、交流の場を心地よいものに保つことができています。
自分を大切にし、他人を尊重することのできる人がこのほど良い適度な距離感を保てるのだと思います。
自分を愛する
自分の好きを優先する


主人公の生活は自分の「好き」で満ち溢れています。むしろ、「好き」なことだけを選択して生きているように思えます。
一人でいることが好き。
朝日を見上げるのが好き。
仕事に打ち込むのが好き。
公共トイレに残されたメモを通して見知らぬ誰かと⚪︎×ゲームをするのが好き。
苗木を育てるのが好き。
整った口ひげが好き。
朝のコーヒーが好き。
出勤時に車の中で聞く音楽が好き。
車の中で見るスカイツリーが好き。
お昼休みに食べるサンドイッチが好き。
浮浪者の不思議な踊りを見るのが好き。
公園のベンチでお気に入りの木を眺めるのが好き。
木漏れ日の写真を撮るのが好き。
仕事が終わったら銭湯で疲れを癒すのが好き。
銭湯できれいに体を洗ってお風呂に浸かり顔を沈めてぶくぶくするのが好き。
いつもの居酒屋で大将に「おかえり!」と声をかけてもらい、何も言わなくてもいつもの好物を出してくれるのが好き。
居酒屋の大将と他のお客さんとの楽しそうなやり取りを聞くのが好き。
寝る前本を読むのが好き。
朝はご近所さんが外を掃く箒の音を聞いて起きるのが好き。
休日には古本屋さんで本を買うのが好き。
カメラで写真を撮るのが好き。
現像した写真を見るのが好き。
良く撮れた写真をコレクションするのがしない
小料理屋のママが好き。
休日にいつもの小料理屋に行き、ママとの会話を楽しみ、ママの歌を聴くのが好き。
きれいに掃除して、スッキリした部屋で暮らすのが好き。
部屋の中は綺麗に整頓され、本、盆栽など好きなもので彩られた、自分にとって素晴らしい城で暮らすのが好き。
自分のやりたくないことはしない
料理はしない、洗濯もコインランドリー、やりたくない家事はやらない。
親と暮らしたくない、親の言いなりにならない。
親の望む仕事をしない。
親のような生活はしない。
親と会わない。
同僚が話しかけても主人公はほとんど無口、質問にもスルーする。しゃべりたくないときはしゃべらない。不必要な問いには答えない。
ストレスを抱え込まない。
同僚が仕事を突然やめたとき、同僚の分も仕事をさせられた。自分が二度とこんな目に遭わないよう、職場に声荒げて人を入れるよう要求。いつもは温厚で無口な主人公。でも決して自分に無理をさせない。必要な時には自分を守る行動ができる。
周りに影響されずに自分を貫く
人と関わりながら生きている以上、人との関係性の変化や人からの評価を望んでしまうのは当然です。ただそこに重心を置くと息が苦しくなってくるのも事実です。周りに影響されずに自分を貫く主人公は本当の幸せを手に入れる鍵を握っているように感じました。
主人公は人とのかかわりの中で、生き方を批判されます。ですが、動じず、ぶれることがありません。
妹に生き方を否定される
主人公は妹が娘に主人公とは異なる世界で生きるべきだと言っていることを、姪から聞きます。そして妹は娘を迎えに来た時、主人公に対して「こんなアパートで暮らしてるの?」「まだトイレ掃除してるの?」と主人公の生き方を否定する批判じみた言葉を口にしました。ですが主人公は自分の生き方を変えようとは考えません。
主人公が住んでいるアパートは、外観はボロアパートですが、家の中はいつも清潔で整理整頓ができている、そして好きなものだけに囲まれている「自分の城」というべき部屋の中で満足して暮らしています。
同僚から仕事への取組み方を否定される
また同僚からも「どうせ汚れるのに」と言って真面目に徹底的にきれいに掃除する姿勢を「無意味」ともとれる言い方をされても、影響を受けることはありません。
いつも通り、仕事に責任感と誇りをもって完ぺきにトイレ掃除をします。
一般社会の風潮との対照
多くの人は新しいものを追い求め、最新の機器を持っていることを一種のステータスシンボルとして自尊心を保っていますが、主人公はそのようなものに一切興味を示しません。
自分の心地よさだけを追い求めています。
周りから「古臭い」とか、「枯れている」とか言われることは気にも留めていません。そんな否定的な言葉は本人にとって全く無意味な言葉であるかのようです。
なぜなら、自分軸で生きているから。他人の価値観や見方は自分には関係ないことです。
周りからどう思われるか、他人がどんな暮らしをしているかによって自分の幸福の尺度が変わることがありません。
そんな自分の幸せの定義がしっかりと確立しているからこそ、安定した幸福な日々を送ることができるのだと思います。
自分にできる範囲で周りを気遣う
自分を大切にできているからこそ、他人を大切にできます。
主人公は、自分を犠牲にしてまで人助けをすることはしません。
まず、自分を愛し、大切にしたうえで、できる範囲で、周りの人を気遣い、助けの手を差し伸べています。
同僚への気遣い
同僚が意中の女の子が務めるガールズバーに行くお金が必要だと、カセットテープを売ったお金を貸して欲しいと言ってきたとき、大切なカセットテープは売りませんでしたが、自分の懐が痛くならない程度のお金は渡して同僚を助けます。
その額は、返してもらわなくても生活に困らないし、恨みに思わなくてもいい金額だと思います。
結局、同僚はお金を返さなかったと思いますが、主人公は根に持つ様子はありません。
いいカッコして大金を貸したり、自己犠牲をして「いい人」をすると、裏切られたとき自分が惨めになります。そしていつまでも相手を恨む羽目になります。
主人公は、自分がそんな不幸を感じることがないよう、見栄を張ることは決してありません。見返りを求めて施すこともありません。
人助けの仕方にも生き方のセンスが感じられます。
迷子の男の子を助ける
トイレ掃除をしているとき、トイレにこもっていた男の子を助けます。
男の子の親を一緒に探してあげます。
家出してきた姪を家に泊める
姪が家出をしてきた時も、家に泊めてあげます。
自分の愛書を姪が気に入ったら、快く貸してあげます。
トイレ掃除についていきたいと言えば、連れていきます。
一緒にトイレ掃除したいという申し出にも断りません。
朝一番に飲む缶コーヒーも食事もおごってあげる優しさも示します。
銭湯にも連れていきます。

でも、ずっと泊めておくことはしません。
すぐ、妹に電話で連絡をいれて、迎えに来させます。
親子間の問題に首を突っ込んで、深入りすることはありません。
助けられる範囲で助けますが、一線を越えることはありません。
自分の分を心得て賢く生きていると感じました。
小料理屋のママの元夫に寄り添う

小料理屋のママが男と抱き合っていたことに動揺した主人公は、缶ビールを3本買って隅田川を眺めていました。
そこに三浦友和演じるその男がやってきて、自分は別れた夫でガンにおかされ余命が少ないことを吐露します。
主人公は煙草や缶ビールを元夫に分け合います。
男はふと、
「影は、重なり合うと濃くなるんですかね…⁉︎ 結局なにもわからないまま、(人生が)おわっちゃうなあ」
と呟きました。主人公は「じゃあ、やってみましょう」と橋の下の灯りに自分とその男の影を重ね合わせてみます。男は重ねても濃さはとくに変わらないと言いますが、主人公は強い口調でこう言います。
「濃くなってますよ!変わらないなんて、そんなバカなことはないですよ!」
主人公は一緒に影踏みの遊びをしてママの元夫を励まし、寄り添おうとします。
主人公にとって幸せとは

主人公にとって幸せとは、まさしくこの映画で描かれている彼のルーティンとそこに訪れる小さな変化を見つけることなのでしょう。
なぜか同僚の意中の女性を車に乗せることになったり、売る気がない古いカセットテープを査定させられ、タカシに金をせびられたりしても、平山はあまり動じません。
急に現れた姪と数日過ごすことになり、日常のルーティンが崩されても、彼には姪に缶コーヒーや昼ご飯を買ってあげる優しさがあります。
彼は自分の日常のルーティンに固執しているわけでなく、そこに人が介入して日常が脅かされても受け入れられる強さとまたその変化に幸せを感じられる感性があります。
終盤、主人公の妹が主人公の元を訪れ、2人の父親の病状について話をするシーンがあります。妹が乗りつけた車を見るに主人公の実家は良家であり、そこから逃げ出した主人公は父親との折り合いが悪いのではないかと感じられました。
このシーンで主人公は今にも泣きそうな苦しげな表情を見せます。彼には、自分の日常や幸せを守るために捨てたものがあり、それに対する小さな罪悪感が詰まった表情のように感じられました。
主人公は自分の幸せを守るためにもがいた末に、今の生活を手に入れているのかもしれません。やっとの思いで掴んだからこそ、彼は幸せが簡単に崩れるものだと知っているのでしょう。
淡々と日常を過ごしながら空や植物の変化を愛で、人との関わりから刺激をもらう。そんな風に小さな変化と幸せを受け取りながら生きている主人公の姿はとても美しいです。
ルーティンを崩された時、主人公は動揺し、不安になります。でも、その度に思いもよらない幸せを見つけたりもします。公共トイレの隅に二つ折りになっている紙を見つけ、「⚪︎×」が縦横斜めに3つ揃ったら勝ち、というゲームをどこの誰かもわからない人と交互に繰り返しながら喜びを感じたりもします。
自らが好きなコト、ヒト、モノを毎日のルーティンに組み込む幸せ。
ルーティンだからこそ「変化」に気づく幸せ。
予期せずルーティンを崩されたことで、新たな発見をする幸せ。
これらが重なり合って、主人公の「パーフェクトデイズ」は築かれていきます。同じことの繰り返しと、そこに確かにある変化。
幸せってなんだろう。
グッドライフってなんだろう。
変わらない毎日を「退屈」と捉える人もいるし、そこに変化と喜びを見いだす人もいます。
主人公は明らかに後者です。
「今度は今度、今は今♪」
とはいえ、彼も生身の人間であり、ときには激しく動揺したり不安になったり怒ったりもします。たぶん、大きな後悔も抱えていることでしょう。
それでも、一瞬一瞬を自らの意思で考え、動いて、築きあげた彼の「生活ぶり」を見ていると、たしかに「こんなふうに生きていけたなら」と思えてきます。
それは、彼の葛藤と覚悟が想像できるからだし、それによってたどり着いたこの生活こそが「本当の自由」なのかもしれません。
終幕では、車を運転する平山の表情にカメラが寄ります。このときの彼の表情だけでも、この映画を観る価値があります。
ひとつだけ確かなことは、どの世界で、何を大切にして生きていくかは、自分の心で決めるのだということです。
他人と比較することすら必要なく、自分の大切にしたいものをしっかりと抱きしめていれば大概のことは幸せに過ごせると言われているような気持ちになります。
私も、朝起きたら、カーテンを開け、外の様子を見ます。
笑みは浮かべませんが、お天気や季節の変化を感じます。
散歩中なども同様で、私も面白いとか素敵とか思うものがあると写真を撮ります。
それが、主人公と同じ喜びなのだと思いました。
一日を振り返り、私の喜びをもっと見つけようと思います。
また、笑みを浮かべる練習をしてみようかなと思ったのでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。